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文化功労者・都倉俊一氏「ピンク・レディーが社会現象になるとは思っていなかった」(東スポWeb)

(公開: 2018年10月26日)

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出典元: 文化功労者顕彰記者会見を行った都倉俊一氏

作曲家の都倉俊一氏(70)が文化功労者に選ばれ、このほど都内で会見した。

 作曲家として山本リンダの「どうにもとまらない」、ピンク・レディーの「UFO」など数多くのヒット曲を作り、歌謡界を席巻。また、社団法人・日本音楽著作権協会の会長などを歴任し、音楽制作の環境整備にも貢献したとして選ばれた。都倉氏は「ボクは現役の人間。もっと頑張れと背中を押された感じです」と笑みを浮かべた。

 高校時代をドイツで過ごし、「ソングライターとしてのポール・マッカートニーのメロディーが衝撃的でした」とバンド活動もしていたという。ただ「人前でワーッとやるより、裏方でやっているのが好き」と作曲家としての道を進んだ。

 70?80年代には作詞家の阿久悠さんとのコンビで、ヒット曲を連発。ピンク・レディーでは爆発的なヒット曲を数々と生み出した。「スター誕生!」で2人と出会ったときの印象を「地味に出てきた」と振り返った都倉氏。「ボクも阿久悠さんもプロデューサーもあんな大きな社会現象になるとは思っていない。レールに乗せて押してあげたら、走っていってしまい、我々が追いつかなかった」とも語った。

 その阿久さんとは「かわいがってもらったし、作詞家として畏敬の念を抱いていた。それでも音楽がなくてもツーカーの間柄だった」という。ある時期、阿久さんから「五線紙が5000枚くらい届いたことがあった」と都倉氏。いまではパソコンなどで書くことも多いが、「いまでも手書きでスコアを書くときには大事に使っている。何百枚か残っています」と語った。






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